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お茶大の歩み
開学と黎明期 明治7(1874)年~明治22(1889)年
女高師の時代 明治23(1890)年~明治40(1907)年
東京女高師へ 明治41(1908)年~大正11(1922)年
震災と復興 大正12(1923)年~昭和11(1936)年
大塚の新校地へ 昭和12(1937)年~昭和20(1945)年
昭和12(1937)年 昭和13(1938)年 昭和14(1939)年 昭和15(1940)年
昭和16 (1941)年 昭和17(1942)年 昭和18(1943)年 昭和19(1944)年
昭和20(1945)年
新制大学へ 昭和21(1946)年~昭和27(1952)年
お茶の水女子大学 昭和24(1949)年~平成15(2003)年
国立大学法人お茶の水女子大学 平成16(2004)年~
・・・この年の出来事
・・・この年の卒業生数

昭和12(1937)年

盧溝橋事件(日中戦争始まる)。文部省に外局として教学局設置(思想局廃止)。内閣の諮問機関として教育審議会設置。
月日本校附属校園
4月26日 ヘレン・ケラー女史講演。
5月19日 体育科新設。

昭和13(1938)年

国家総動員法公布。
月日本校附属校園
7月10日 集団的勤労作業運動実施に関しての通達(6月9日)に伴い、集団勤労作業実施(~7月14日、なお9月10日も実施)。
8月1日 選修科の専門分科制さらにすすむ。
9月21日 ヒトラーユーゲント派遣団一行来校。
11月7日 志賀高原体育運動場落成式。
12月 附属高校、西武新宿線久米川駅東南(現最寄駅西武拝島線萩山駅北西)の地に1,500㎡の勤労作業場郊外園を開設す。

昭和14(1939)年

ノモンハン事件、第二次世界大戦、国民徴用令   青少年学徒ニ賜ハリタル勅語発布。
月日本校附属校園
2月25日 東京府東村山村に郊外園開設。
3月31日 第六臨時教員養成所廃止。
4月 附属高等女学校、西武新宿線久米川駅東南の地に勤労作業場郊外園を開設。
6月15日 集団勤労作業実施(7月12~16日、9月8~10日にも行なう)。
7月15日 東京特設中等教員養成所家事裁縫科設置(9月11日開所式)。
11月 附属高等女学校、バスケットボール部第10回明治神宮国民体育大会で優勝。

昭和15(1940)年

日独伊三国同盟、大政翼賛会発会   教育審議会、女子大学設置に関する答申を行う。
月日本校附属校園
3月17日 東京特設中等教員養成所に裁縫科設置。
3月20日 宮城外苑整備事業奉公隊の奉仕に各科三年生が参加。
7月6日 勤労作業(~7月11日)。
12月3日 皇后行啓。

昭和16(1941)年

大学学部等ノ在学年限又ハ修業年限ノ臨時短縮ニ関スル件公布。太平洋戦争始まる。
月日本校附属校園
1月 高等専門諸学校に学校報国団を組織すべしとの文部大臣の指示(昭和15年9月17日)により、如蘭会を如蘭報国会に改組、如蘭報国会規則・特設防護団規程制定。 附属高等女学校、バスケットボール部第11回全日本総合籠球選手権大会で優勝。
3月6日 本校内に東京女子臨時教員養成所を開設、家事裁縫科を設置(4月1日開所式)。
3月 附属高等女学校通学服を基準とし、全国女学生制服を制定。
4月 国民学校令公布(3月1日)に伴い、附属小学校を附属国民学校と改称。
5月1日 昭和16年入学の生徒から選修制度強化。
10月20日 生徒学資支給規程復活が認可される(昭和16年4月分より適用)。
11月29日 臨時補習科規則制定(昭和17年1月8日施行)。
11月 附属高等女学校、バスケットボール部第12回明治神宮国民体育大会で優勝。
12月24日 本科・選科第五十三回卒業証書授与式挙行。

昭和17(1942)年

大日本婦人会発会式。
月日本校附属校園
2月12日 東京女子臨時教員養成所に理科(物象科)増設。
5月 附属高等女学校、バスケットボール部第12回全日本女子選抜籠球選手権大会で優勝。
9月30日 本科第五十四回卒業証書授与式挙行。
11月 附属高等女学校、勤労報国協力令により本科五年以上造兵廠その他へ勤労奉仕に出動。

昭和18(1943)年

中等学校令公布。師範学校令改正。学徒戦時動員体制確立要綱を閣議決定。25歳未満の未婚女子を女子挺身隊として動員することを決定。
教育ニ関スル戦時非常措置方策を閣議決定。
月日本校附属校園
1月 附属高等女学校、勤労奉仕を継続実施(~昭和20年10月)。
3月8日 家事科を家政科と改称(4月1日施行)。
4月 附属高等女学校、教科課程を大きく変更。
8月 文科・体育科三年生の東京在住者は青山の連隊区司令部で書類整理、理科三・四年生は精工舎、二年生は大蔵省印刷局で軍票計算に動員。
9月27日 本科第五十五回および東京女子臨時教員養成所第一回卒業証書授与式挙行。
12月 文科三年生が立川の少年飛行隊の入隊試験の採点を手伝う(~昭和19年1月)。

昭和19(1944)年

大日本育英会法公布。学徒勤労令・学徒勤労令施行規則公布。
月日本校附属校園
3月 春休みに、文科一年生などが藤倉電線に、理科三年生などは凸版印刷・安立電気へ動員。
4月15日 全国に率先して附属高等女学校に学校工場開設。
4月 東京女子臨時教員養成所の家事体操科を家政科と体錬科とに分ける。
6月 岡部文部大臣、附属高等女学校学校工場を視察、講話を行う。
8月 各科三・四年生は兵器補給廠へ(~秋)、二年生は東京第一陸軍造兵廠へ動員(~昭和20年5月)。 帝国学童集団疎開実施要領の制定(6月30日)に伴い、附属小学校児童は東村山郊外園へ疎開(~昭和20年4月)。
9月1日 附属幼稚園休園。
9月27日 本科第五十六回および東京女子臨時教員養成所家事体操科・理科卒業証書授与式挙行。
10月1日 理科三年生53名、動員で海軍水路部の指導のもとに計算などの作業に従事(~昭和20年6月)。
文科・家政科三年生、陸軍糧秣廠へ動員。

昭和20(1945)年

決戦教育措置要綱を閣議決定。戦時教育令公布。終戦の詔書放送。学徒勤労動員解除。文部省、新日本建設ノ教育方針を発表。
文部大臣、新教育方針を声明、中央講習会開催。女子教育刷新要綱を閣議了解。婦人参政権確立。
9月:文科30名  理科(数学)20名  理科(物象)20名  理科(生物)16名  家政科47名  体育科20名
月日本校附属校園
1月25日 藤本万治、校長に任ぜられる(~昭和24年5月)。
2月 入学試験合格発表。新一年生、通知があるまで自宅待機。
2月23日 文科一年生・体育科一年生・家政科と体育科の三年・東京女子臨時教員養成所の家事体操科二年・家政科と体錬科の一年・保育実習科一年の総勢200名、名古屋の愛知航空株式会社へ出発。
3月 附属幼稚園閉園。
3月20日 本校内の碧素工場開所式。
4月13日 空襲により第二寄宿舎、嚶鳴舎、官舎、桜蔭会館、作楽会館など焼失。
4月 附属小学校、富山県へ再疎開(~昭和21年3月)。
5月25日 空襲により第一寄宿舎焼失。
5月 附属高等女学校生徒、新潟県・秋田県へ疎開。
6月18日 附属高等女学校の勤労動員解除。
6月 東京特設中等教員養成所の生徒、長野県小県郡中塩田村に疎開。
6月 理科三年生、各科二年生、群馬県勢多郡横野村ほかに疎開。 附属高等女学校専攻科有志、新潟県へ集団疎開。
8月1日 本科一年生、長野県南佐久郡北中込町の皇国一三五九号工場(津上製作所)に集合、入学式。
8月 各学年生徒、疎開先から各々帰郷。
9月6日 四年生の授業再開(~9月20日)。
9月27日 本科第五十七回および東京女子臨時教員養成所家事体操科・理科卒業証書授与式。東京女子臨時教員養成所家事体操科廃止。
10月15日 本科三年生授業開始。
11月9日 附属幼稚園、保育開始。
11月29日 「東京女子帝国大学創設趣旨並組織」を作成、文部省に設置申請。
元陸軍造兵廠の建物であった橘寮を本校生徒の寮に転用(大山寮の始まり)。
12月 本科一年生大山寮に入寮、集中授業開始。